玉一商店の歴史

玉一の「一」はものの始まり

玉子焼きとの出会いは、昭和40年、江戸前寿司を学ぶために修業に入った東京の寿司屋でした。
東京に行く前の10年間は旭川の寿司屋で修業していましたが、当時北海道の寿司屋では、卵の中に魚のすり身や長いもなどを入れて焼いた、蒲鉾のような玉子焼きしかありませんでした。
東京の寿司屋では、卵だけを使った、出汁巻き卵のような玉子焼きを出していて、これが、考えられないぐらい美味しかった。感激しました。親方に「これを作りたい」と言ったら、すぐに「やってみろ」と言ってもらえたものの、その玉子焼きは、店で作っているものではなく、築地の玉子焼き屋から仕入れているものだったのです。
誰も教えてくれる人がいないので、店のみんなに試食してもらいながら、試行錯誤を繰り返しました。味も焼き方も、研究を重ねるうちに、だんだんとものになってきて、しばらくすると、寿司ネタとして使ってもらえるようになりました。
その後、大阪での寿司修業を経て、玉子焼きを極めるために、東京の玉子焼き専門店で修業。技術とともに、玉子焼きの味を決める出汁のとり方や、塩や砂糖の配分。そして、今も大切にしている玉子焼きの極意といったものを学びました。
ここでの修業が、玉一の玉子焼きの原点です。

東京での修業を終え、札幌で、本格的に玉一商店を創業したのが、昭和42年4月24日。
創業当時は、自宅裏の作業場で焼いたものを、中央市場におろすほか、自転車に積んで今日は藻岩、明日は新琴似、明後日は厚別と、いろんな地区のお寿司屋さんに売りに歩きました。夕方からはススキノを回り、クラブなどのお通しに使ってもらえないかと、飛び込みで売り込む毎日が続きました。
出汁巻きの玉子焼きは、当時、ホテルや旅館などの朝食で出すものという感覚があったので、始めはなかなか受け入れてもらえなかったのですが、「一回食べたら、必ず気にいってもらえる」という自信がありました。
やがて、だんだんと玉一の玉子焼きが浸透していき、混ぜ物が入った蒲鉾のような玉子焼きは、姿を消していきました。
以来40年余り。男女を問わず、小さいお子さんからお年寄りまで、幅広い年代に愛される変わらない味の玉子焼きを、徹底した衛生管理の中で大切に焼いています。

玉一の玉子焼きは、基本の味がしっかりしているから、そのままでももちろん、さまざまなアレンジでも美味しく楽しめます。

そのまま食べて、甘さを楽しんでもよし。大根おろしを添えて、わさび醤油で食べれば、お酒のつまみになる甘じょっぱい味に。パリパリした海苔を巻いたり、マヨネーズをつけて食べるのもおすすめです。

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